ちょっとためしにtumblr。
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まだ二十七なのに、何もかもが鈍ってしまった。上腕と太腿の筋肉がごっそり落ちて、まるで中年の身体だ。へらへら笑って、電卓を叩いて、嫌いな革靴を履いて、履くたびにそれを磨いて、馬鹿みたいだ。
僕の頭は駄目だ。小さい頃から使いすぎて、もう役に立たない。覚えられない。理解できない。大企業にもお役所にも勤めないなら、あんな受験なんかするんじゃなかった。あんなことですり減らすんじゃなかった。計算なんか早くたって無駄じゃないか。計算機があるんだから。
僕の頭だって、昔はよく切れた。何も怖くなかった。年を取れば取るほど有能になるんだと信じていた。自分は特別な人間だと思いこんでいた。僕は老いを知らなかった。
(老いについて。年下の友人のメールから。)
ところで、「予見が当たった」と感じる時、実際には、どこまで正しく事前に予測できていたのだろうか。これに厳密に答えるのはなかなか難しい。たまたま的中してしまっただけかもしれないし、仮に偶然ではなかったとしても、予測の根拠や見積もりがどこまで正確だったかと問いつめられれば、正直、どんなふうに自信があったのか分からなくなる。
例えば、こんな実験がある。
アガサ・クリスティが生涯に何冊の長編小説を書いたかご存じだろうか。よほどコアなファンでなければ答えは知らないだろう。そこで「いくつだと思いますか」と尋ねてみる。すると、平均で51冊という推定値が返答されてくる。
ところで実際には、アガサ・クリスティは66冊の本を書いている。そこで、しばらく時が経ってから、同じ人に正解を伝えたうえで、「あの時、あなたは何冊だと推定しましたか?」と聞いてみる。驚くなかれ、解答の平均値は63冊に増加する。「かつての自分は正解こそしなかったとはいえ、それでも正解に近い解答していた」と思い込んでいるのだ。
これに似た実験結果は多くある。結局のところ、「自分はわりと正しくこの事態を予測していたのだ」と勘違いするクセが私たちにあることが分かる。つまり「やっぱりね」という時の「やっぱり」は、言うほど「やっぱり」ではない可能性もあるわけだ。何とも耳の痛い話である。
こうした認知ミスは「後知恵バイアス」と呼ばれ、日常的に広く見られる。
ada:
すごく好みの写真がたくさんあるサイトを見つけたので、興奮して何枚かPostしてから「無断転載禁止」の表示に気付いて全部消した。Reblogするときはそんなの気にしないのに変だなーと思った。
昔なら配達エリアにマンションが建つと新聞拡張のチャンス、ドル箱が建てられたようなものだったのですが、最近建つのはもっぱらオートロック付きのマンション。
以前なら新聞配達はマンションの管理会社からマンションに入るための暗証番号を教えられていて入ることが出来たのですが、最近は新聞配達でも入れなくなったとのこと。
だから朝刊を玄関の集合ポストにしか入れることが出来ず、これが大不評でオートロック付きマンションだと新聞をほとんど取ってくれないとのこと。
もちろん勧誘も一切出来ないのでマンションが増えてもまったく部数増加に繋がらないのだとか。
んで、自分が話を聞いたのはニュータウンでの配達の話なんですが、今や新規にニュータウンの団地に入る人はいなくて、ほとんどが新規に建築されたマンションへの入居。
団地に入る人が減っていて、マンションに入る人ばかりなので、これも部数減の原因になってるそうです。
そういやニュータウンの団地、老朽化が進んでいてかなり空き家が増えております。
ゴーストタウン化が急速に進んでいて治安がものすごく悪くなっていて、それも団地への入居を妨げているのだとか。
さらに治安悪化により新聞配達の人も怖い思いをすることが多いそうです。
大阪での話ですが、毎日新聞の販売所が朝刊のみのセット(統合版)を2,000円で販売してるのだとか。
毎日新聞の統合版の公式価格は3,007円なので大幅な値引きをしてるようです。
だから3ヶ月単位ぐらいで新聞を変える浮動読者が軒並み毎日に流れてるのだとか。
これに他紙の販売所が大反発で毎日のやり方にものすごい怒りのコメント。
でも毎日は2,000円で朝刊だけを売っても利益にならないんですよね。
なぜ毎日が大幅な値引きをするのかについては諸説あると思いますが。
朝日新聞の部数減がまったく止まらないそうです。
ひと月に配達担当ひとりあたり10部も減ることもあるのだとか。
もちろん増えることは一切なく。
だから販売所一店あたりの数になおすと激減といえるほどだそうです。
朝日の配達員さんは毎日にお客さんが流れているせいじゃないか? と言ってますが自分はそれだけが原因じゃないと思います。
去年だっけ? 新聞各社が軒並み活字を大きくしたんですが、そのせいで「読むところがない」と購読をやめちゃう年配のお客さんが増えてるんだとか。
あと広告が増えて「読みにくくなった」と。
今や新聞を熟読するのは時間がある団塊の世代というか年配の方しかいないと思うのですが、それらの人にとっても「記事がスカスカで読むところがないし広告ばっかりで読みにくい」んだとか。
特に「記事はスカスカで広告ばっかりで読みにくい。だから○○新聞に変える」というお客さんが多いんですって。
自分が驚いたのは「テレビ欄が読みにくい」って理由で購読をやめちゃったお客さんがいたって話。
この「読むところがない」「読みにくい」って意見はいかに新聞社が読者と向き合っていないかの証拠だと思うのですが。
あと、年配の読者が購読をやめる理由として「パソコンで見られるから」ってのも実は多いそうです。
新聞社は年配の読者だけは紙媒体の新聞を取り続けると思っているようですが、それは間違っていて、年配の人の方がパソコンを何とかして使いたいと思ってるのだとか。
年配の人もバカじゃないですから、ネットの方が新聞よりも圧倒的な情報量を持ってることを知ってます。
「夕飯やお弁当の献立の参考になるから新聞を取ってたけども、ネットで見られるからもういいわ」と購読を断ってきた年配のお客さんがいたとか。
自分は新聞社は年配の読者をなめすぎだと思うんですけどもね。
とくに主婦のパワーをなめちゃいかんと思うのですけども。
とにかく新聞の部数が減るって話ばかり。
これからもどんどん減るんじゃないかなぁって話ばかりで部数が増えるって話は一切無し。
どうやっても新聞の部数は減るって話ばかり。
んで、オイラが思ったのは、いま新聞が減っていくのは新聞社本体が顧客満足度にまったく向き合っていないからなんじゃないかと。
たとえばなぜオートロック付きマンションへの戸別配達が出来なくなったのか、新聞社本体は考えたことがあるでしょうか?
活字を大きくして広告を増やして中身スカスカで読みにくい紙面を年配の人が本当に求めてるのかどうか考えたことがあるでしょうか?
オートロック付きマンションへの戸別配達が出来なくなったのは、配達員の不祥事(報道されない不祥事も含めて)があまりにも増えてるからではないですか?
じゃあ、なぜそんな配達員が増えてるのか? ってことなんですよ。
それは販売所があまりにも安い給料しか出せなくなってるので身元があやふやな人間しか雇えなくなってるからじゃないですか?
だったら新聞社がやらなきゃいけないのは販売所と配達員の地位向上ではないですか?
なのに配達員の不祥事がおこるたびに「それは販売所の問題なのでウチは知りません」って言ってるようじゃ、どんどん配達できないマンションが増えていくだけですよ。
活字を大きくして広告を増やしたことも、それ、本当に読者のためなんですか?
広告を増やしたのは読者のためじゃなく新聞社のためですよね。
活字を大きくしたのも取材記事では紙面が埋められなくなってるからですよね。
だけど、本当に新聞を読みたいと思ってる人が望むのは濃密で精緻で正確な記事なんですよ。
広告でも、メガ文字で薄められた記事でも、記者クラブで発表された他紙と一言一句変わらない横並びの記事でもないんですよ。
そういう人たちが望む記事を本当に今の紙面で提供できてますか?
「もう、新聞配達は維持できないよね」ってのが現場の本音で一致していたのがなんとも。
新聞社本体は色々考えてるようですが、配達をしてくれる人がいなくなっても新聞を発行していけるつもりなんですかね?
新聞社本体より先に販売所の方がなくなってしまうという重い話ばかりの新年会でした。